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こころと脳がワクワクする…190
2018年9月26日

こころと脳がワクワクする生活習慣に変えよう!

「シュムシュ島」はどこにある島なのでしょうか。

お盆の時期には、英霊をお参りすることにしています。
行った先が、靖国神社でした。

靖国神社は、全国どこにでもあります。
九段下の靖国神社はその本山でもあります。

記念会館には、何回も入ったことがありました。
ところが、エスカレーターがあって、2階に展示場があることに気がつかなったのです。

そこでは、明治から昭和までの歴史が拝観できます。
今回、4時間ほどかけてじっくりと見てみました。

その真ん中くらいにさしかかったときに、
一枚の写真つきのチラシに目が止まりました。

そこには、「シュムシュ島の戦い」
とありました。
シュム、占。シュ、守。トウ、島。
「占守島」といいます。

この島は、北海道の北方領土の先にある、
カムチャッカ半島に近いところにあります。

何故、ここがテーマなのか?
そんな知識・情報は知らなかったのです。

終戦の玉音放送があったのが、
8月15日でした。
ほとんどの戦地では、武装解除をしました。

ここでも、同じように17日から武装解除をしたのです。

つまり、戦車から鉄砲や無線を取り外し、爆砕する準備をしていました。

ところが、18日の未明に、
対岸にあるロパトカ岬にいるソ連軍から砲撃がはじまったのです。
終戦の軍使ならば、夜戦のように進むことはないはず、
と判断した日本軍は、再び戦闘準備をしました。

最初は、米軍が来たと・・・
そうではなく、ソ連軍だったのです。

砲撃は双方から、激しく応戦しているなか、ソ連軍が18日には上陸。
そこで、戦闘が続きました。

この島には、まだ400人の女子工員が残っていました。
彼女たちは、終戦時には内地からの引き上げ船に乗って、
帰るところでした。
島の食糧は、この工員たちの働きで確保されていました。

船がこないうちに、ソ連軍の進攻がはじまり、どうすることもできないままでしたが、北海道にこの女工員の400名を帰すという決断にて、
高射砲などで応戦するなかでの帰還でした。
数日後、電報で無事帰還という知らせが届いたという。

この間、終戦宣言から6日間たっていました。
そして、21日に戦いは終わったのです。
つまり、この戦闘によって、
ソ連軍の南下政策の侵攻を遅くらせたことになります。

それでも、国後島、捉丹島、色丹島まで侵攻してきました。
それ以来、ソ連国の領土となっています。

これに似た、戦争がもうひとつあります。
それは、蒋介石総統が大陸から台湾に政権を移すときでした。

日本の根本博陸軍中将が、
台湾の蒋介石総統の命を受けて、
防衛のための作戦を任せられました。

しかし、これは個人が戦線に参加した事実話なのです。
それも、日本が敗戦してポツダム宣言を受諾しています。
ですから、根本中将は誰にも言わず、台湾に行ったのです。

漁船に乗って、通訳の吉村是二とともに行ったのです。
延岡を出て、暴風雨のなかで船出したのです。
その航路は、遣唐使のころもあまり通らない、二、三の島伝いに進んで・・・・
あとは、台湾を目指して直行したといいます。

その当時、アメリカが日本海、東シナ海を占拠しているために、
絶対に発見されないルートを通ったといいます。

その防衛の最前線が、あの有名な・・・・
金門島なのです。

毛沢東が、中国内戦で蒋介石総統の国民党(国府軍)を破り、
破竹の勢いで、金門島を攻略しようとします。

金門島は、大陸からわずか10kmしか離れていない。
現在は、中国本土から送水管(16km)が通っているといいます。

それを、一切の妥協もしないで、
命をかけて、国民党(国府軍)とともに戦いました。

その様子は、その当時の日本政府やマッカサーにも知れました。
もちろん、マスコミも報道しました。

でも、この戦闘によって・・・・・・
台湾は独立を勝ち取ったことは歴史が示しています。

そして、60年以上がたっています。

最後になりましたが・・・・・
台湾では、根本博陸軍中将の功績を讃えています。

 

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