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こころと脳がワクワクする…186
2018年9月8日

こころと脳がワクワクする生活習慣に変えよう!

古い建物の高さを謳った、「口遊(くちずさみ)」があります。

これは、970年ごろのことです。
ときは、平安時代の中期でした。
源為憲が子弟の教育のために書き下ろしたのが、「口遊」という書物だったのです。
これを暗記させたのです。

このなかには、
今、有名な一節があります。
雲太、和仁、京三という名称がでてきます。

雲太は、現在、島根にある出雲大社。
和仁は、東大寺大仏殿。
京三は、平安京の大仏殿。

でしたが、その当時の高い建物は、何だ?
という、今のクイズのようなものでした。

そして、高い順に並べたのが、
雲太、和仁、京三ということでした。

その当時、建築の技術はどうだったのでしょうか。
かなり高かったということが知られています。

その、技術の高さを示す発見がありました。
この発見は、考古学者や建築業界を驚かせました。

大きな穴がぽっかりと空いたとき、
建物を支える柱が発見されたのです。

直径1m以上もあろうかという柱があり、
しかもその柱は1本ではなく、3本でした。

3本がしっかりと束ねられていたのです。
その技術もスゴイですね。

その現場の調査には、
株式会社大林組の建設会社が担当したのです。

現在、出雲大社の本殿の高さは、
24mあります。
その当時はその2倍はあったとされています。
つまり、48mにもなります。

ビルの高さにすれば、
14、15階くらいになります。

古事記では、
アマテラスにオオクニヌシが、
神殿の建設を約束させた譚がありました。
「神殿の高さは、高天の原にとどくほど高くしてください」
と願ったのです。

オオクニヌシは、それ以前にも、
大きな神殿を建てたことがあったのです。
それは、スサノオの根の堅洲国から逃れたとき、すぐに、葦原の中つ国(出雲)に大きな神殿をつくった
と言われています・・・・・・

この、出てきた柱から推察すれば、
アマテラスは、約束を守ったことになります。

大林組では、高さを検証したのです。
コンピュータの建築計算によって、
出した答えは・・・・・・

合格でした。

しかし、48mにはとどかないけれど、
この柱で神殿は建てられるというものです。

そして、その神殿の設計図を公表したのです。

なんと、
高さ、30m。
階段の長さ、109m。
階段数、170段。

というものでした。
この模型は、出雲大社の鳥居の近くにある、
案内所に飾られています。

写真もありますが、模型を見て、
その高さを実感していただければと思います。

その支柱を見たときは、
本当に、あの当時にこんな大きな柱を立てたんだ―
と思うとそのスケールの大きさに驚くのは私だけではないはずです。

それほど、大きく見えたのです。
法隆寺の五重の塔でも31.5mあります。
これは、日本では木造建築で最古のものです。

それほど、高さを競うのは、
天に近づきたいという思いがあるからでしょう。

古代の出雲大社はその当時の最高の建物だったという
ことがわかります。

つづく

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朱雀